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「お仕事は何をなさっているんですか?」 【あおきゆかの台湾まっくのうち弁当(第2回)】
「お仕事は何をなさっているんですか?」

2005年7月1日

「お仕事は、何をなさってるんですか?」
コレ、私にとって聞かれて一番困る言葉。
「体重は何キロですか?」と言われたのと同じぐらい困ります。

今年4月のこと。
実は台湾で、絵の個展をする機会に恵まれました。その時も、ギャラリーの人にプフィールを用意するように言われ、書くのに困りました。
仕方ないので「チビの頃、嘘つきだった」とか、「私がバカで親が悩み、週一回にバカを治すおまじないを頼んでいた」とか、「毎晩お化けと布団の取りっこをしていた」とか、「のべ四十三カ国貧乏旅行した」とか、そんな事をつらつらと書いてごまかしました。
コレと言った職歴も芸歴もなし、熱心な活動や受賞歴もなしってことだス。 で、あんた誰? ってココでも思われてるようなので、今回は、ちょっと私のこと。

なぜ台湾に住んでいるのか?
現在の理由は、台湾の友人が「帰るな」と言い、日本の友人は「帰って来るな」と言うから。それにココは居心地が良い。
空気、水の悪さと、使用後のトイレットペーパーをゴミ箱に捨て、そのブツを自分でゴミに出す事(流しちゃいけないのよ)、この3点に耐えられればここは日本人にとってパラダイス。台湾人は、日本人が良い人ばっかりだと勘違いをしてるんでね。

カンボジアへ出発する成田空港。ヘルメット型麦わら帽子をかぶり、嬉しそうにチケットを確認する貧乏旅行時代
カンボジアへ出発する成田空港。ヘルメット型麦わら帽子をかぶり、嬉しそうにチケットを確認する貧乏旅行時代

では、台湾に来た当初の理由?
遠い昔にさかのぼります。
モノを作るのが好きで、頑張って美大に入ったら思ったよりつまんなかった。だから、学生時代から小金を貯めては、カメラぶら下げて1、2ヵ月の貧乏旅行をし始めた。その頃も作品作りは細々と続けていたけど、子供の時のようにワクワク出来ません。8年くらい続けると貧乏旅行への情熱も薄れていきました。

「こんなはずじゃなかった!」
と、ふと我にかえる……。
電車の中で「人生の坂道を凄い勢いで転げ落ちて行くみたい」と友人に打ち明け、隣に乗り合わせた初老の和服女性に慰められたりした(相談の声がデカかったんだと思う)
とにかく、その頃「堅気になろう」そう思った。
まず、堅気の一歩として旅行を3日にしてみた。
それで来たのが台湾。2002年の春。その時ミラクルマッサージに出会い、台湾に興味を持ったのです。何がミラクルかと言うと、帰国後しばらくはジャンプで飛び起きるほど目覚めがよく、希望に満ちたラジオ体操の歌のような朝を過ごす事が出来たのです。パワーに満ちあふれ、何でも出来そうな感じ。

「是非、このマッサージを身につけて、立派な社会人になりたい!」

気がついたら、その年の秋にはリュック背負って、自作の「お願いしますマッサージTシャツ」(お揃いで先生の分もアリ)を着て、マッサージ店の前に立っていました。 それから約半年間、店のマッサージ台を寝床にした修行生活が始まったのです。



私の愛用のiBook G4
私の愛用のiBook G4。勉強机の上には青いトンカチをもったバッタの神様がぶら下がって、わたしが怠けないように見張ってる
私の愛用のiBook G4。勉強机の上には青いトンカチをもったバッタの神様がぶら下がって、わたしが怠けないように見張ってる

堅気への路の準備の準備(台湾行き)は楽ではありませんでした。当時は、やっとバイト生活を卒業して、お菓子のパッケージやお店のCIや内装デザインの仕事が増えて来た頃です。私はお金を貯めるため、自分のデザインした現場で職人として働くことを思いつきました。現場では、親方を「おじさん」と呼んで叱られたりして、当然仕事は大変でした。

平行してデザインの仕事もあったので、デスクトップのMacを膝に抱えてトラックに乗り込み、材木と一緒に現場に行きました。日夜続く肉体労働の後、夜中はパッケージの仕事。来台前日まで連日の現場仕事で、ペンキのシブキが顔にぴゃっぴゃっ飛んだまま、クタクタになって台湾に着いたのです。



そんな風にして始まったマッサージ修行も、楽じゃなかった。
マッサージ以上に、先生は人間が凄かった。「三等身体の刈り上げ小僧」と言う容貌でありながら、自分の事をイケてると思ってたし、千里眼もあると言って、真剣にホラ吹いてた。“気”のフラッシュアウトだと言い、たくさんオナラするし、アルミの洗面器でサーブする先生作の味のないぶっとい麺(大量)は、義務で弟子に残すなと食べさせる。
私たちは、食べ過ぎて胃が痛くなると胃に効くツボを押して治し、また食べるという日々を送っていました。

また、弟子には、先生の足の裏から“気”をフラッシュアウトさせるという仕事もありました。要は先生の足の裏を楊枝使って引っ掻くだけのこと。でもルールがあって、左右交互に上下に手を動かさなければならず、もし怠けたり、左右の動きが一緒になると、先生から喝が飛びました。 

これが台湾だと思っていた私は、近所の免税店の無料ネットコーナーを利用して、この生活を日記に書いて、日本にメールしてました。そこにはiMacが設置されていたけど、半壊れで漢字変換が出来なかった。けど気にせず、客でもないのにしょっちゅう行っては、試食のパイナップルケーキをつまみながら愛用してました。

しかし、夜がメインのこの仕事。変わった食生活もたたり、先生のようにブーブーと気(屁)を操れず、逆に不健康になってきたような感じ。その上、マッサージのあのミラクルは、お客さんの意見も含め初回限定の奇蹟だったような?

で結局、足裏をマスターした段階で「マッサージでゲット!明るい未来計画」を泣く泣く断念。約5ヵ月が経つ頃でした。

それから台湾茶にハマり、また職人になって名古屋に友人と台湾式のお茶屋を作ったり、台湾の宗教体操の日本語版ナレーションをやらされたり……。

台湾のお茶の世界にどっぷり浸かり始めた頃、足しげく通っていたお茶屋で、知人にかぶり物を被せて、楽しい写真撮影をしてた私。お茶屋さんとの関係の深さがにじみ出ている一枚
台湾のお茶の世界にどっぷり浸かり始めた頃、足しげく通っていたお茶屋で、知人にかぶり物を被せて、楽しい写真撮影をしてた私。お茶屋さんとの関係の深さがにじみ出ている一枚

話が長くなるので今回はヤメときますが、とにかくその後マトモな台湾生活が始まり、人の環も広がってきました。そして、台湾で知り合ったブーさんを筆頭にアスキーとも繋がりができ、売り込みをさせてもらったのです。

アスキーへの売り込みの際、みやげにした新発明の手作りマキグソ菓子。見た目もエレガントで、予想以上に味も好評。これで、お仕事をゲット
アスキーへの売り込みの際、みやげにした新発明の手作りマキグソ菓子。見た目もエレガントで、予想以上に味も好評。これで、お仕事をゲット

私は、売り込みに名刺を忘れても手土産は忘れずに、台湾のニンニクピーナッツや、手作りのマキグソ型ケーキを用意しました。アスキーの人たちはマキグソ菓子に引っかかっていきました。

確かあのときも、自分のやって来たことをまとめるのに困ったんだ。それで、売り込み資料に過去のいいわけ文を書いたら、イラストで売り込んだつもりが、頂いたお仕事は書くほうだったという……。それから、台湾の宗教音楽CDをブーさんにクレてやったら、泣いて喜んだブーさんがチッコイデジカメを恵んでくれ、神のご加護かそれで撮った写真がきっかけで、写真のお仕事も貰えるようになった。頼まれて日本語を教えたりもしてるけど、まぁワラシベ長者のようなことをしながら、普段はプラプラしてるってことだわさ。

(あおきゆか)




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